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分かるということ [自然科学]

k_shinkawaです。

分かりましたか? はーい! 分かりました。

そんな光景をなんどみてきただろうか。

そして その「分かる」というものが、こんなにも千差万別で、
ひとによって様々なんだ。。。ということを意識したことも ほとんどなく過ごしてきた気がする。

きっと ヒッポファミリークラブという活動に出会っていなければ、 きっとそんなことを考えることもなく過ごしていたかもしれない。。。

入会をしたその日から、
母語である日本語、勉強もして環境もある国に住んだこともある英語、大学で第2外国語で学んだけれど記憶のかなたに行ったフランス語、少しは聞いたことがあるかもしれない言語、まったく、 聞いたこともなく、興味をもったこともないような「ことば」
さらに、数学や 物理など、自然のふるまいをあらわした「ことば」
すべて、人間が 自分たちで 生み出しみつけてきた「ことば」

そんな様々なことばを、毎週のファミリーと言われる定例会で、 環境としてみんながもつ多言語のストーリーCDを家や車でかけることで、 気楽に漂ったり、 時には気まじめに、 時には焦りつつ聞きながら、 それでも少しずつ少しずつ 「分かる」ということを繰り返してきたんだ。

「分かる」ということが こんなにもいろいろあるんだというのを、いろんな人を見て気がつくというより、
自分の中で 知ることになるとは思いもしなかった。
自分の中でさえ、「分かる」というものに無数の段階があり、どの段階も100%で分かるってことしかなくて、
分かるは どこまでも無限大に 広がるだけなんだ。


ゼロな状態からスタートするということは、こんなにも 敏感に 感じられることなんだということも、初めて知った。

逆に とても知ってるつもりの日本語は、気がつかないことが多いし、 気をつけようともしていないくらい鈍感。
日本語を裏側に 単語帳で覚えるようにしてきた英語は、知ってるか、知っていないかが はっきりしていて、
知らないとお手上げ状態。知っていても 裏側の日本語で縛られて 想像力が鈍る感じ。

まったく知らない状態からのことばは、音だけがたより。
効果音なのか、吐息なのか、 合いの手なのか、 まるごとことばなのか? そんなことから手探りで、想像を重ねる。
あ~。。。そんなことさえ 考えないんだ。
ただただ、目の前の人と向き合って 行くだけなんだ。。。 

ゼロは無ではなく、 可能性無限大なんだと 実感できるし、
これって赤ちゃんと言う存在そのものと重なる。

ことばをもつことは、生きることそのものだ!
私も、そうやって 生きてきたんだ。。。いや これからも生きていく。

自分の様々な「分かる」 を どんどん書いていきます。

あちゃ~ 今回は、単なる、予告 の投稿になってしまいました。。。 つづく
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