k_shinkawa自己紹介 [メンバー紹介]
こんにちは。
この研究サロンの管理人をしています。
1999年に多言語活動を始めて、01'年より京都府京田辺市でヒッポファミリークラブのファミリー(定例活動の場)を主宰しています。
この活動を始める半年前まで、アメリカに駐在員家族として 住んでいました。
アメリカでは 子供達は英語を自然習得していき、私は子供たちに日本語を話す環境を家の中で作る半面、 私自身は いつまでたっても英語の意味に振り回される感覚で過ごしていた気がします。
帰国した途端に、今度は 英語を話す環境を求めることになり そんな時に出会ったのがヒッポファミリークラブです。
単言語の国で、日本語が話せれば困ることなく幸せに暮らせる中で、英語だけならまだしも、当時は15ヶ国語
のことばを環境を作って 自然習得をしようというヒッポファミリークラブの人達に 興味を持ち、この活動を家族でスタートすることにしました。 息子が12歳、娘が7歳の時でした。
環境を作るということは、経験があったのですが、でもそれは自分がすでに話せていた母語のはなし。
話せもしないことばの環境をつくること。しかも、多言語。。。
それを、自分の体を通して 自然習得しながら 環境を作る一員になるなんて。
本当に、最初は 訳がわからなかったところからのスタートでした。
このサロンでは、研究活動を記事にしてくれるメンバーの皆さんのナビゲーター役を務めさせていただきながら、自身の多言語体験を投稿したいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
この研究サロンの管理人をしています。
1999年に多言語活動を始めて、01'年より京都府京田辺市でヒッポファミリークラブのファミリー(定例活動の場)を主宰しています。
この活動を始める半年前まで、アメリカに駐在員家族として 住んでいました。
アメリカでは 子供達は英語を自然習得していき、私は子供たちに日本語を話す環境を家の中で作る半面、 私自身は いつまでたっても英語の意味に振り回される感覚で過ごしていた気がします。
帰国した途端に、今度は 英語を話す環境を求めることになり そんな時に出会ったのがヒッポファミリークラブです。
単言語の国で、日本語が話せれば困ることなく幸せに暮らせる中で、英語だけならまだしも、当時は15ヶ国語
のことばを環境を作って 自然習得をしようというヒッポファミリークラブの人達に 興味を持ち、この活動を家族でスタートすることにしました。 息子が12歳、娘が7歳の時でした。
環境を作るということは、経験があったのですが、でもそれは自分がすでに話せていた母語のはなし。
話せもしないことばの環境をつくること。しかも、多言語。。。
それを、自分の体を通して 自然習得しながら 環境を作る一員になるなんて。
本当に、最初は 訳がわからなかったところからのスタートでした。
このサロンでは、研究活動を記事にしてくれるメンバーの皆さんのナビゲーター役を務めさせていただきながら、自身の多言語体験を投稿したいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
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